コラム

「呻きを受け取る」

「聞いてください。わたしの呻きを。」(旧約聖書 哀歌1:21)

言葉になる苦しみ、言葉にならぬ悲しみや動揺、そこに至る人生の歩み。
そういうもの、いや、その人自身を受けとめられるという経験が、人間には必要であると思います。
カトリック司教の森一弘さんが、人間の根源的な渇きとして
「柔らかくとげのないあたたなかものに包まれたい」というものがあると話していましたが、
まったくその通りだと思います。

そこから出発し、またその喜びを味わいつつ、その先も歩むことができればよいのですが、
なぜか社会は、そんなものはなくても早急に成果をもたらす存在にのみ価値を見いだす傾向があります。
この根源的な渇きに応じることが、福祉の働きであるという脈絡で聞いたのですが、
それはそのまま教会の働きであり、そして神が私たちにしてくださることです。

10年に渡り、専門的な知識と経験、そして根源的な渇きに寄り添うあたたかな心で奉仕してくださった方があります。
カウンセラーの前田ゆり子さんです。
私たちの教会において、ボランティアとしてその働きを担ってくださいました。
これまで何人もの方が、それぞれの渇きとその人自身を、その歴史も含めて受けとめられてきました。

クライアントの方が安心して「聞いてください」と自分を委ねる場には偶然、「祈り、裏切られ、殺され、復活された」
キリストの壁画が掲げられています。
キリストが受けとめてくださるという信頼も、聴くことを支えたことでしょう。
ひとりの小さなキリストとして、「呻き」を受けとめてくださった前田ゆり子さんの尊いお働きに感謝します。

日本福音ルーテル本郷教会 
牧師 安井宣生

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