癒されるということ。
カウンセリングの癒しとキリスト教聖書の癒し「自分が自分を癒す」
人が癒されるとはどのようにして、いつ,誰によって起きるのでしょうか。
人が癒され、救われるということは、取り巻く状況のせいにし、無気力になっている状態の人には起きないと思います。
重要なのは良くなると信じること、そしてその為に主体的に行動することではないでしょうか。
キリスト教の聖書福音書とカウンセリングの実際とで癒されるということがどのように起きるのか見ていきたいと思います。
福音書ルカ伝(7-36~50)にイエス様と一人の「罪深い女」と言われている女性との一場面が載っています。イエス様が地元の有力者の家に招待され食事を共にしている場に、この女性は香油の入った石膏のツボを持ってきて、後ろからイエスの足元に近寄り、泣きながらその足を涙でぬらしはじめ、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗ります。町の有力者はこの光景を見て驚き戸惑います。町中の人がこの人が罪深い女だと知っているのです。近寄ることすら避けられていた女性です。イエスはこの罪深い女を退かせるどころか彼女のしたいままにさせておきます。そしてこの女に向かって「あなたの罪は許された」と言い「あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい」と述べられるのです。
ここで特に注目したいのは、「あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい」という言葉です。
イエス様はどうして「私があなたを救った」とはおっしゃらないのでしょうか。「あなたの信仰があなたを救った」という言葉にはどんな本質が含まれているのでしょう。
聖書福音書の中でこの同じ言葉が7回出てきます。罪深い女の話に加えて、永年出血が止まらない女性がイエス様の服の房に触れて病気が癒される話が、マタイ、マルコ、ルカに。盲人の物乞いがイエス様に「何をしてほしいのか」と言われ、「目が見えるようになりたいのです」と答えて目が見えるようになる話が、マルコ、ルカに。ライ病を患っている10人が清くされた中で、サマリア人の一人だけがイエスの元に戻ってきて感謝を伝える話がルカに出てきます。癒されたと分かったとき、それぞれのものにむかって、同じ言葉「あなたの信仰があなたを救った」とイエス様はおっしゃいます。
この4人に共通する特徴は何でしょうか。
まず、4人とも非常に深刻な状況にいます。そこから救われたいと強く願っています。そこにイエス様がいらしているのを知って縋りつくようにイエス様の元へと向かっていきます。彼らの行動は真剣でひたむきで、癒しが実現すると信頼しているようすが伝わってきます。
とりわけ罪深い女の例ではそれが顕著です。彼女は自身が罪深いと自覚しているだけではなく、町中の人にそうだとみなされています。罪の自覚や周りからの差別で非常に苦しい状況にいたと思われます。それにもかかわらず、彼女は絶望していません。救われたい、赦されたいとひたむきに真剣にイエス様に向き合ったのです。その情熱が彼女の心からあふれ出て彼女の行動となっていくのです。「この人は涙で私の足をぬらし髪の毛でぬぐってくれた。この人は私が入ってきてから、私の足に接吻してやまなかった。この人は足に香油を塗ってくれた。」その彼女にイエス様はおっしゃるのです。「あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい」
イエス様は4人に「こうなりたい」という強い思いがあることを見て取り、しかもそのために必死に訴える(行動をとる)姿勢に心動かされます。それが「あなたの信仰があなたを救った」というイエスの言葉となり4人の上にそれぞれ癒しが実現したのではないかと思われます。
私は女性専門に心理カウンセリングをしています。
打ちひしがれ、混乱した状態の方がカウンセリングを通して徐々に生気が出、前向きに進む勇気を持っていく様子を永年多くの方に見てきています。本人がひたむきに真剣に考えていくと、自分がどうなりたいのかが見えてきます。そしてそれに向かって進むための行動が起きてきます。苦しい状況から少しずつ抜け出、明るい光のほうへ進むのを、彼女たちと一緒に体験していくのは私にとっても大きな喜びです。本人が熱心に望み、望んでいることがかなうと信じていれば、必ずその人は何らかの行動を起こし、外にもそれが伝わります。そうした行動は現実も状況も望みの方向へと変えていく力があります。
元気になってきた方から、「どうもありがとうございます。先生のおかげです。」と言われるのは一生懸命取り組んできたことが認められたようでうれしくなりますが、そのたびにこれは私の力では決してない。本人の心のうちに在った力が活性化され、外へと発揮されたためで、「自分で自分を癒したのだ」と思うのです。
あるクライアントからのお手紙です。
1年半、週1回、1時間半のカウンセリングを受け、終了した30代の女性からのものです。
まず、始めにお礼を伝えさせて下さい。
私の命を救って頂きありがとうございます。
先生のおかげで今の私がいます。
本当にありがとうございます。
最初の3カ月位まではなかなか心が開けず、
先生にご迷惑をかけてばかりでしたね。
今思えば「実は何も感じていません。全部どうでもいいんです。」と告白した時から、本当の意味でのセラピーが始まったのかな?と思います。
毎週、先生が出してくれる宿題の答えを必死で考えながら生活していたのを思い出すと、今は笑ってしまいます。
でも何もなかった私の世界に“先生の笑顔“が加わった事で少しずつ少しずつ・・・確実に私の心が戻ってきました。
最初お会いした時は心が無かったので、「こういう状況だと人って泣くんだろうなぁ」と思いながら、涙を流していましたが、今は勝手に涙が出てきます。
自分の気持ちに正直に雑念なく物事を感じていると、気付くと涙が出ています。 一番は楽しい時や嬉しい時です。
生きている間にこんな感情にもう一度なれるなんて思ってもいなかったので、自分が一番ビックリしています。
これから先、辛い事や悲しい事もたくさんあると思います。でも私自身、心配していません。全てのことに対して、正直に真正面から向き合える事にワクワクしています。 この約一年半で先生と一緒に「すごく難しくてピースのすごく多いパズル」を完成出来たなと思います。後は、自分でノリ付けして額縁に入れて飾るだけです。
もう、大丈夫です。私、自分自身で出来ます。こうして胸を張って、根拠もなく言い切れるのは、先生が本当の私を見つけてくれたからです。
私幸せになります!!
彼女を救ったのは決して私ではありません。彼女の真剣さ、絶望しない強さ生きることへの信頼が彼女を救ったのだと思います。私はその過程を見守る幸運に恵まれました。
「あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい。」イエス様の言葉が彼女の姿に重なります。